ワーホリ中のオーストラリアより。新型コロナウイルスの影響。前編

tbjaus
国・観光情報

みなさんお久しぶりです、TABIJO あやかです。
私は2020年4月3日現在オーストラリアにいます。30歳で最後のワーキングホリデー中! でしたが…コロナウィルスの影響で仕事を失い、滞在していることが困難になりました。4月9日にシドニーから羽田へ、帰国を予定しています。

世界中がパンデミックに陥る中、あとは帰国の9日を待つだけの私ですが

感染者のニュース…
海外便の運休・減便、そして国境閉鎖で絶たれて行く帰国の途…
日本に帰ってからの検疫、滞在場所…

目まぐるしく変わる情報を見る度に、体が勝手に震えてしまう程の恐怖を覚えます。

たくさんのワーホリ・留学生さん達が苦渋の決断をして帰国しています。残る決断をされた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、どちらの選択をしても心のどこかに深い不安がある状況だと思います。

これからお伝えして行くことは全てリアルです。多くの人と同じように、ワーホリをしていた私にリアルに起こっていることです。
こんな時私が出来る事はなんだろうと考えた時に、海外ではどんな事が起きているのかといったリアルを発信することだと思い、約1ヶ月前から遡って日記のような形式で書かせていただきます。

この先どんなタイミングで何が起こるかわかりません。世界はもしかするとすごい勢いで変わって行くかもしれません。忘れないでおく為にも、これからの教訓として文章にしたいと思います。

本記事は4月3日の私が書いています。本日から帰国者全員にPCR検査が義務付けられました。これから帰る私ももちろん対象になります。

帰国するまでの情報の変化だったり、検疫や空港の様子、隔離施設などこれから起こることは随時アップしていきたいと思います。



滞在先キャンベラでコロナウイルスの変化を感じるまで

キャンベラ

2020年1月初旬 オーストラリアに入国。

この時は4月に帰国をする事になるなんて夢にも思っていませんでした。過去にもワーホリや留学を経験していた為、語学学校には行かず、すぐに職探しをしました。その派遣先が現在滞在しているキャンベラでした。

1月20日 キャンベラのホテルにて仕事を開始。

実はこの数日前までオーストラリアは深刻な森林火災に悩まされていました。街の近くまで炎は迫り、キャンベラ自体かなり影響を受けていました。しかし私が来る前日、大雨が降り火災の範囲が縮小。街には活気が戻ってくる予感でした。

この頃でしょうか…武漢でコロナウイルスの存在が認められたのは。

1月30日 日本での感染が始まった様子

日本で数人ウイルスにかかった人がいるようだ。現状報告している河野大臣のツイートを他人事のようにリツイートしている私がいました。

2月3日 異変を感じ始める

日本にあのダイヤモンドプリンセスがやってくる。ここからこのウイルスについて何か様子がおかしいと感じ始めていました。と、いうのも実はこの1日前の2月2日、ニュージーランドはすでに中国からの入国(乗り継ぎを含む)を禁止しているんです。

2月7日 マスクの買い占めが始まる

週末キャンベラからシドニーへ。マスクをしている人はほんのわずかなアジア系の人と自分なくらいでした。しかし、この時点でシドニーの薬局にはマスクはありませんでした。ブッシュファイヤー(山火事)の影響もあるのかもしれませんが、すでに買い占めが始まっていましたね。

2月13日 オーストラリアはまだ大丈夫

▲夏のイベントは毎週のように予定されていて、賑わっていました。

和歌山県の男性医師の方が感染してしまった事がニュースになっていました。この時点で日本でもじわじわと蔓延しているんです。時を同じくして、ダイヤモンドプリンセスの感染者が…なんていうニュースも毎日のように報道されていましたね。
ただ、オーストラリアでは夏のイベントに向けての準備でみんな忙しくしていました。

2月21日〜2月25日までの4日間

クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号から下船したイスラエルの方々が無事に国に帰国されたと言ったニュースをリツイートしていました。下船が開始された頃ですね。
そして、この数日間の間に地元北海道でコロナウイルスの感染発覚が立て続けに起こっている状態でした。地元のみんなが心配でとにかく連絡は取っていました。

タイとベトナムはこの時に日韓の入国制限。

私は短期のセカンドジョブをゲットして完全に浮かれていましたね。ブッシュファイヤもおさまり、週末はクラブミュージックが響き、外に出てお酒を楽しむ人々。
今となっては、その音楽や賑わう声はもう数週間も聞こえていない。

コロナウイルスがアジアから世界へ広がり始める

まだアジアの病気だと思われていた頃から、世界中に広がり始めた3月の様子です。

3月1日〜 アジア人に対する視線が厳しくなる

日本でもコロナウイルスの感染が増え、日本からの入国制限がある国(主に小さな島国など)が急増。その中にはインドなども含まれている。多くの人が旅行のキャンセルを強いられ始めていました。

海外在住の人からは、アジア人だからと言って人種差別を受けた。なんて話もここからもう聞こえていましたね。私自身、キャンベラではそう言った差別は受けませんでした。

ただこの頃からは、外でアジア人が咳払いすると周りの視線が気になってしまうような。そんな感覚がありました。

3月9日 まだ帰国を考えていない時

▲夏の大イベントは無事に開催。キャンベラはまだまだ感染者もいなくて平和な雰囲気でした。

USDが104円台にまで下がっています。水面下でパンデミックのカウントダウンが始まっていたんですね。まぁ、もうみんな薄々気づいてはいたと思いますが…この時点では「まさか、自分が」そんな感覚だったことは間違いありません。

そんな私は忙しくしていた短期掛け持ちバイトも終わり、本格的にセカンドジョブを探そうとRSA(お酒を扱う場所で必要になる資格の勉強)をしていました。

3月12日〜 ついにキャンベラでコロナウイルス感染者発生

とうとうキャンベラで最初の感染者が確認されました。この頃NSW(シドニーなどがある州)ではかなりコロナが広がっている様子でした。シドニーの空には飛行機で「Wash HANDS」の文字が描かれるなど。
アメリカ、ニューヨークでは公共機関にも影響が出てきている様子。

2日後の3月14日に、ニュージーランドは「自国民を含めた入国者全員に14日間の自主隔離を求める」と言った声明を出しています。そんな情報を見た私は「今は国を動く時ではないのかもしれない…」と、ツイートしていました。
14日の時点では正直ホテルの予約数はほとんど変わっていませんでした。ですし、他の州に比べて感染者が1人と圧倒的に少なく、キャンベラで感染が確認された人はすでに病院に入院しているのだから絶対的に安全!だと思っていました。

次の日、驚くべきコロナの影響を目にしますがね。

3月15日 日用品の買い占めが始まる

キャンベラのスーパー

キャンベラのスーパーに異変が。スーパーマーケットからお米やパスタ、ティッシュ、トイレットペーパーなど生活必需品が消えていました。シティ近辺だけではなく、少し街から離れたスーパーでもそんな状態でした。キャンベラにコロナが!と、いうニュースと共に買い占めがスタートしてしまったのです。

海外からの帰国者への14日間自宅待機というのも、オーストラリアはこの時点で開始しています。

3月16日 非常事態宣言発令

▲緊急事態宣言、実際のメール

キャンベラのあるACTが非常事態宣言を発令しました。私が帰国を決断する約2週間前です。この日のニュースでは56の国と地域が日本からの渡航者に入国制限を出しています。この辺りから、在オーストラリア日本大使館からほぼ毎日のようにメールを受信することになります。

この日、フラットメイトの2人が、感染が多く確認されているシドニーに行っているというのを聞いて、ちょっとキレそうになったのを覚えています。

運命が分かれ始める2週間の始まり

▲静まり返るシティ中心のショッピングセンター

飛行機の減便、国境閉鎖などオーストラリアも厳しい対策を打ち始めた頃の様子です。

3月18日 レベル4(Do Not Travel)

オーストラリアのモリソン首相は記者会見で今後6ヶ月以上継続する前提で、幅広く持続可能な措置をとると表明。オーストラリアはこの時点で豪州に住む人へ全世界にレベル4(Do Not Travel)を適用し海外渡航しないように勧告。各国に住む豪州人に対して可能な限り早く帰っておいでという勧告もしています。

もちろんその影響は飛行機にも。日本とオーストラリアを結ぶ航空便が減り始めます。オーストラリアのエアライン、カンタス航空、LCCのヴァージンオーストラリア、ジェットスターも減便を発表しました。しかし今日の時点ではまだ減便です。

まぁ、この辺りからですね…ホテルで働いている周りの子達から「シフトがなくなりつつある」と言う話をチラホラ聞き始めるのは。私のホテルはスタッフが他よりも少なかったため週3くらいでシフトを割り当ててもらっていました。
それに、仕事がなくなりそうなのを見越して、ホテルの仕事半年が終わった後に探してみようと思っていた歯科助手の仕事を探し、履歴書を数カ所に送りました。

友達の中ではこの辺で帰国を考えはじめた人も居ました。

3月19日〜 オーストラリア国境閉鎖

▲国境閉鎖し、状況はシリアスになりつつあるのにも関わらず多くの人が外出して全国ニュースに

前日に減便を発表していたカンタス航空及びシェットスターは、3月末〜少なくても5月末まで国際線の全便運休及び国内線の減便を発表しました。

そして、3月20日にはオーストラリアは国境閉鎖です。

ここで私が感じてしまったのは「今帰ったら、もうビザが有効なうちに戻ってこれないかもしれない」正直、30歳ギリホリしていた私の頭の中はそんな事を考えてしまったんです。あとその気持ちを後押したのは「国境閉鎖、海外帰国者は2週間の隔離など徹底しているオーストラリアの方が安全」という国の対応の差でした。

この時の私はまだかろうじてホテルの仕事をしていましたし、21日の時点で「今は様子を見る。」そんなツイートをしていました。

オーストラリアでは100人以上の集会などは禁止され、国内移動などもさらなる措置を…などと状況がシリアスになりつつある事はもちろん感じていました。しかし国民の危機感は少なく、シドニーのボンダイビーチには砂浜を埋め尽くすような人が訪れていたことがニュースで取り上げられていたくらいです。

3月22日〜 街が静まり返る

忘れもしません、この日の連絡。次の日の23日正午からレストラン、バー、映画館、娯楽施設、カフェそしてホテルの宿泊施設以外の部分がクローズするというではありませんか。急いで気になるカフェまで行ったのを覚えています。

そして23日。静まり返るレストランやバーに反比例するように聞こえてくるのは「仕事がないから」という、ほぼ確定的であろう解雇宣言。ホテルで働いている友人が何人も職を失っていきました。

私も解雇宣言に怯えていましたが、ポツポツと入るシフトになんとなく心救われていました。そんな時です、応募していた歯科医院から「あなたの経験などを聞かせてください」といった電話がかかってきたのは。

3月24日 周りが職を失い始める

ホテルの仕事に行っても以前の賑わいは何処へやら。スタッフは全員マスク着用。クリーナの仕事中は絶対にマスク着用、そして換気・グローブ・手洗いなど徹底するように注意されていました。
フラット(住んでいるシェアハウス)のホテルで働いていたメンバーは既にみんな職を失っていました。

しかし、私自身は帰国しなきゃいけないかも…というのは1ミリも考えていません。歯科助手の仕事ができるかもしれないチャンスがあったからです。
ピンチはチャンス!なんてツイート、今見ると眩しいよ。

この日の夜に、また大使館からメールが届きます
「全日空・日本航空 運休のお知らせ」
この時点でJALはメルボルン、シドニー線の全便運休が決定、ANAに関してはパース線が運休、現在(4月3日)も飛んでいるシドニー〜羽田便のみになります。

3月25日 大使館からのメール

在オーストラリア日本大使館からのメール

オーストラリア日本大使館から語りかけるようなメールが…

「職のない厳しい生活が6ヶ月続くかもしれません。帰国の手段も減ってきています。お金は?ビザは?医療保険は?あなたは大丈夫ですか。直ちに日本への帰国も視野に入れて行動してください。」

在オーストラリア日本国大使館のメールより引用

そのあとの文章には…
厳しく制限されている状態が6ヶ月以上またはもっと続くかもしれませんと言う事、今いる場所から州を移動すると働けない可能性がある事、現時点ではワーキングホリデーの人に経済的支援のない事、飛行機が減便されていっている事によりビザの期限までに帰れず不法滞在になってしまうといった自体も考えられると言う事、若くてもコロナにかかれば重篤化して莫大な金額の医療費が買ってしまうかもしれないと言う事。

オーストラリアの親である大使館が滞在している日本国民を心配して、帰国を促してくれていました。おそらくここで帰国を決めた人がたくさんいると思います。

私はと言いますと、応募していた歯科医院から折り返しの電話があり「金曜日(27日)に面接にきてください」と。なんとこの日にチャンスを手にしまうのである。なんとも皮肉なタイミング。けれどこのチャンスは本当に嬉しくて、頭の中は完全に面接にフォーカスしていました。

3月26日 仕事の面接が決まる

26日の朝また歯科医院から電話があり「面接、今日でも構いませんか?」との事。
仕事が週2にまで激減していた私は、仕事もないしで対策がでいていたので、もちろんですと答えて面接へ向かいました。

面接の結果は不思議な結末でした。歯科医院の運営に関わる政府からの発表が26日にあるそうで、私の採用結果は政府の発表に委ねられることとなりました。



3月27日 まだ帰国を迷う

運命の面接結果がわかる日。お昼頃に電話がかかってきて「歯科医院での治療は、当面緊急処置のみだけの縮小運営になってしまいました」と。

もしコロナがおさまったら連絡するからね、と言ってくださいました。やっと専門分野で、海外の歯科医院で英語を使いながら働ける! そう思うと、数ヶ月くらいなら、意地でも待ってみようなんてこの時は思ってしまいました。
理由はただ一つ。もう後がなくて、これが最後のワーホリだから。

この日オーストラリア大使館から、よくある質問についての回答が届いていました。きっと相当数の人が色々不安に思い、オーストラリアに残るのか、帰るのかを検討していたんでしょう。

3月29日 帰国を決める

この日に、私は帰国を決意します。
2日前までは「なんとか頑張れるよね!このピンチを乗り切れば強くなれる気がする!」と、国は違うけれど海外で頑張っている友人と電話で話していました。そんな私に何が起こったのかと言うと

「Looks like no works, Hotel might close. 」と、スーパーバイザー(上司)から本当にきたメールの一文です。早い話ホテルを閉めなくちゃいけない程お客さんが来なくて仕事がないと言う事です。

オーストラリアに残って「まずはできる事をやって頑張ろう!」と思えていたのは、少しでも仕事があればなんとかやっていけるからって思っていたんです。けれど、上司からのこの文で完全に私の心ので頑張っていた堤防は決壊。歯科医院での仕事もコロナが落ち着かないことには…

そう考えた時、恐怖が体に駆け巡りました。

現地の人でさえ失業していて、先の見えないウイルスとの戦いがいつまで続くのかわからない事。それなのに仕事ができず、十分な収入を得られないままオーストラリアにとり残されてしまうかもしれないと言う恐怖。
あれだけどんな国にも自由に行き来できていた飛行機が、どんどん止まってしまっていて、オーストラリアから日本に帰国するにはたった1つの便しか残っていない事。何より怖いのはオーストラリアでもしコロナにかかってしまったら…悪いことはいくらでも想像できるし、妄想するだけ妄想して自分を追い込むことができるんですね。
そして追い討ちをかけるように日付が変わってすぐに新たな規制メールが大使館から。「自宅での待機を強く要請、屋外の集会は2人以下」などなど。

あぁ、私はなんでワーホリにきているんだろう? 思わず自問自答しました。
色々な人と出会って、その場所でしかいけないような場所に行って、現地で仕事をして色々な事を学びたかったんじゃないのかな?

この考えに至った次の瞬間にはチケットを探していました。

続編へ続きます。↓↓↓



あやか

2,955 views

猫チョコ大好き♡Cafe巡りと旅行、そしてニュージーランドをこよなく愛す あやかです! カメラと共に一瞬一瞬の素敵探しの旅へ。 < 自己紹介 > 北海道の田...

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧